英語ですみませんが、これらを見てください。
http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/graphite/graphmcs06.pdf
http://www.findguru.com/ProductInfo~Productid~191863~ProductName~Graphite-Lubricants-Also-Graphite.html
鱗片状黒鉛の、産出状況とはどんなものでしょうか?中国とインドが多いと聞きましたが、これは露天でしょうか?また、どのような鉱脈が多いのでしょうか?併産物としてはシリカ等も多いと聞きましたが・・・よろしくお願いします
原様へ
ご質問の件,Google検索をかけてみたところ,厚生労働省のサイトに
関連がありそうな記事がありました。(下記address)
もうとっくにご存知,あるいは的外れな返事かもしれませんが,
ご参考いただければ幸いです。www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/sekimen/mortar/index.html
日本の金属鉱山管理人の持元です。
いつもフォーラムハウスをご利用いただきありがとうございます。
さて、ここ数日毎日深夜に悪質な書き込みが発生しており、ロボットによる自動登録であろうと推定して対策を講じました。
ご投稿の際は、質問をお読みになり、「秘密の答え」を選択してください。
質問は難しいものではなく、鉱業・鉱山に関する初歩的知識で回答できます。
どうぞよろしくお願いします。
PS.4月9日に弊ページが大変つながりにくくなる現象が発生しました。
弊サイトの設備をチェックしたところ正常に稼動しており、DNSサーバ(外部委託)の問題であると推定しております。ご迷惑をお掛けしました事をお詫び申し上げます。
弊社にて台湾産蛇紋岩を、4mm〜6mmにミルがけした物を入れております。お客様の用途は現場で樹脂と混錬しエクステリア用としてお使い頂いております。その際、お客様から砂利状の蛇紋岩にアスベストが含まれているかどうか話題になりました。下記は私の疑問ですが宜しければ教えて頂けますでしょうか? 1.一般的に全ての蛇紋岩は石の構成成分として有害なアスベストは含まれているのでしょうか? 2.石の表面からでも有害アスベストは検出されるのでしょうか?上記エクステリア施工例から考えまして石が削れ合う様な事は無いかと思います。 御忙しい中恐縮ですが教えて頂けましたら幸いに存じます。www.toto-kosan.com
ふつうは空気中の酸素か地下水に溶けた酸素が、硫化物中の硫黄(原子)と
反応して、硫酸イオンと水素イオンが発生するのですが、
高校で化学を勉強した人なら、1時間ぐらいかけて自分で化学式を考えるべきで、
自分で考えるのが面倒だから、他人に労力を投げるような形で、「化学反応式も
教えろ」という質問の仕方は、むしがよすぎると思います。
教えてください!
黄銅鉱・銅藍・方鉛鉱・閃亜鉛鉱から硫酸イオン・水素イオンが発生するのはどのようなプロセスなのか教えてください。またそれらの化学反応式も教えてください。
化学式ということは金属間化合物のことでしょうか。
とすれば
Mn6Si : 三方晶
Mn3Si : 六方晶
Mn5Si3: 六方晶
MnSi : 立方晶
Mn11Si19(MnSi2): 正方晶
といったところです。
他にも報告されているようですが。
教えてください!!
シリコンマンガン合金の化学式をもし知っていたら教えてください。
金様、
吉田國夫著「鉱産物の知識と取引」に拠りますと、フェロマンガンとシリコンマンガン製造に使われるマンガン鉱石は、含まれる珪素含有率とマンガン含有率で区分されるようです。かつてフェロマンガン用国産マンガン鉱の品質要件として基準にされたのは、Mn 27%以上、S 1%以下、P 1%以下、Cu 0.1%以下で、SiO2 19%以下の鉱石についてはSiO2 1%につきボーナス、SiO2 36%以上の鉱石についてはSiO2 1%につきペナルティが課せられることになっており、実際にはMn 25〜35%、Si 30〜40%の鉱石がシリコンマンガン製造に供せられていたとあります。フェロマンガン製造用の輸入マンガン鉱では、Mn 40%以上、SiO2 10%以下を品質要件としていますから、大雑把にいうと、Mn 40%以下でSiO2 20%以上の低品位鉱石はシリコンマンガン製造用とされたと考えてよいと思います。
いわゆる「秩父古生層」チャートなどに胚胎し、花崗岩迸入による熱変質を蒙ったような鉱床では薔薇輝石やテフロ石を主体とするため、珪素分が高くシリコンマンガン用、熱変質が乏しい鉱床では菱マンガン鉱を主体とするため、珪素分が少なくフェロマンガン用に出荷されることが多かったと聞いています。ただし、菱マンガン鉱を主体とする鉱石でも母岩のチャートがズリとして鉱石に多く混入すれば、珪素分が高くなりシリコンマンガン用となることはあったと考えられます。
教えてください。
フェロ・マンガンと、シリコン・マンガンに使用する
マンガン鉱石の品質は、何が問題にされるのですか?
檸檬様、
坑内掘鉱山の深度は、鉱床の形状によりますが、経済的に採掘できる鉱床の深度によって決まります。つまり鉱床がどんなに地下深くまで連続していても、採掘コスト(採鉱、通気、揚水、運搬、選鉱、管理、償却)が鉱石価値(品位)を上回れば、それ以上深く採掘することができなくなります。
日本の鉱脈鉱床の場合、露頭からの深度は200〜500m程度が多いようです。南アフリカの含金礫岩層では深度3600m以深を開発しているところがあるそうです。
珪石様、
「珪石」は地学団体研究会編、1996年平凡社発行「新版地学事典」によると、「工業的に利用される珪酸質原料の総称。遊離シリカすなわち石英(まれにクリストバライト・トリディマイト・オパール)を主体とするもの。一般に珪石と呼ばれるものには、水晶・ペグマタイト石英・脈石英・珪質砂岩・チャート・珪岩・石英片岩・珪華・めのう・オパールやこれらの風化した軟珪石などがある。」と解説されています。吉田國夫著「鉱産物の知識と取引」では、珪石の用途として、「シリカの純度によって合金鉄(フェロアロイ)や研削材のほか、耐火材、陶磁器、ガラス製品、セメント、建材などに広い用途がある。」と述べています。珪石の品位はシリカ(SiO2)の含有量(%)で表し、シリカの品位と有害成分とによって用途が決まり、特に鉄分(Fe2O3)の含有量によって用途が決まるようです。例えば、石英ガラス用はSiO2 99.8%以上、Fe2O3 0.02%以下、金属シリコン用はSiO2 99.5%以上、Fe2O3 0.02%以下、フェロシリコン用はSiO2 97%以上となっています。
鉱山の仕事ってだれくらいの深さでやってるんですかぁ?!
けいせきって、何ですか?
昨日,勤務先に置いている「日本鉱床総覧」の対州鉱山のこ項目を見てみました.脈石を含まないタイプの鉱脈だそうです.方鉛鉱・閃亜鉛鉱の他,磁硫鉄鉱も含まれているそうです.これが風化すれば,gossanができます.実際,この項目にあった露頭状況では,gossanのあるものもあります.また,周辺の岩石より硬く,突出しているものもあるそうです.ただ,露頭状況に自然銀の記述は無いです.ただ,方鉛鉱には,多量の銀を含んでいる(1500g/ton)そうです.
ここの鉱脈は,1000mとか続くそうですので,鉱脈を見つけ易い尾根とか沢で露頭を見つけ,それに沿って採掘していくことは当時でも可能だと思います.酸化帯があれば,自然銀が含まれているはずです.
『日本鉱業史要』に
「地表に近き部分においては方鉛鉱多量に存在せしなるべきも、掘下するに従い方鉛鉱暫時消滅して、閃亜鉛鉱および磁硫鉄鉱主として発達せる」
とありまして、地表にゴッサンができるのか?という疑問がないわけではありません。ただ、事実鉱脈が発見されているので何らかの兆候はあったのでしょうが、露頭のイメージが浮かんできません(ヤケの写真は見たことがあるのですが・・)。
手元の資料によれば、中国、唐代では約560m/里のようです。www.museum.kyushu-u.ac.jp/PLANET/09/09-3.html
確か対州鉱山は,鉱脈タイプで,脈の数が沢山あったはずです(現在,自宅で資料がありません).こうした鉱脈が地表に露出すると,風化に強い石英が含まれるためその部分が突出し,また含まれる硫化鉄が酸化されて独特の鉄さび色(ヤケといいます)になるので,見つけるのはそれほど難しくありません.ヤケの下を掘れば,含銀方鉛鉱が風化してできた,自然銀とか硫酸鉛鉱とか白鉛鉱などが見つかるはずです.
当時,本格的に坑道を作ることが出来たとは思えませんが,地表部の酸化帯を鉱脈に沿って追えば,数百mくらいにはなります.
ところで,里の長さは,今のものと違う場合があるのですよね?
『対馬国貢銀記』には「多年の穿坑で口から切羽まで2,3里程に達した」と書かれています。
ところで自然銀は地表でそんなに採れるものなのでしょうか。下草や落ち葉でもあれば発見することすらも難しいのではと思われるのですが。それと露頭が大きな面積であるというのも考えにくいし。
銀山は,古くは多くの場合,地表の酸化帯の自然銀を採掘していました.石見銀山は,行ったことがあるのですが,発見当初は福石鉱床の上部が酸化され,地表に銀が生えていたと看板にありました.それを採掘していたそうです.看板には,ロウソクで銀を融かして採掘したと書いてあった(うろ覚え)のですが,ロウソクで銀を融かすのは無理かなと思います.
対州鉱山でも,上部に酸化帯があり,その自然銀を採掘したのではと私は思っていました.
灰吹法が日本に導入されたのは石見銀山に天文2(1533)年といわれております。
白鳳3(674)年に対馬から銀が産出した記事があり、10世紀頃の『對馬国貢銀記』
に銀の製錬方法について少し書かれています。
当然のことながら灰吹法は使われておりません。
ということで、このような仮説があるのです。
方鉛鉱は,
http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/Rmin_SS_SR1.html
によると,一部を酸化鉛にしてそれと方鉛鉱を反応させたり(現在,硫化水素ガスから硫黄を得るやり方ですね),酸化鉛を炭素で還元したりで容易に鉛を得ることができます.その過程で,当然銀は鉛に熔け込みます.あとは,それを灰吹き法で処理すれば,銀が得られたはずです.
わざわざ,酸化鉛と銀を椀掛けで分離したとは思えないのですが….
昔には、含銀方鉛鉱を焼いて銀と酸化鉛にし、比重選鉱で銀を採っていたという
仮説があるのですが、銀の比重が10.5、酸化鉛が9.2〜9.5とさほど比重差がない
ので、うまくパンニングできたものか気になっています。
この比重差はパンニングに十分なものなのでしょうか。
風間様
金鉱床の上部は一般的に富鉱部となっています。佐渡では
道遊の割戸に見られるように鉱脈の上部が風化作用で削り
取られていますので、だいぶ鉱床上部の富鉱部の部分の鉱石
が川から浜へと流出していると考えられます。
また、佐渡の鉱脈は日本で最大級の金銀鉱脈ですので、
流出した金鉱石もかなりの量だったのかもしれません。
pentahydroborite@yahoo.co.jp
トネさん、井上さん、こんにちは
どの関係本でも「この増産が、戦後の廃山のきっかけを作った」と結んでいますね。
佐渡西三川は砂金の採掘が昔から行われていましたが、この河はすぐ海へ流れ込んでいます。
大雨の時などは、河の土砂が海に至り、海の色が変わります。
佐渡の義父のジイチャンはこの辺り「昔は海岸に大きな砂金粒があったよ」などと云います。
相川鉱山が、戦時国策に従った増産のために、苦し紛れとはいえ浜石からの金採取を考えついたのは慧眼ですね、海岸に堆積した浜石の金含有率が高いのはなぜでしょうか?
ひょっとして、波が比重差による金の「ネコ流し」しているのでしょうか?
ところで、待望の8月がやって来まして、また5日程佐渡に行きます。
今回は、相川町の金銀山課で取材し、外海府の零細鉱山跡を更に巡りたいと考えています。
金銀山課の担当の方、まだお会いしてませんが、かなりお話好きの様なので、一日じゃ
終わらないかも・・・では、また報告します。風間
風間さん、井上さん、こんにちは。
さしもの大金山もどこも無理に無理を重ねていたのではないでしょうか?
井上さんのおっしゃった鴻之舞でも、1940年からトンあたり5グラム強で3758グラム、41年:4275グラム、42年:5108グラム……とものすごい目標産金量を政府から要求されています。
『鴻之舞五十年史』はこれを「法外なものであった」と表現しています。
実際は[35]にコメントした産金量でしたから、政府の言うことは「絵に書いた餅」そのものです。
それでも「現場の人たち」はできうる限りのことをしたのでしょうね。
そのような意味で佐渡鉱山は、本当に健闘していたと思います。
山金がトンあたり2.6グラム……これは私のような素人目に見ても相当ヤバイ数字じゃないかと……。しかし浜石は4グラム。これを頼って風間さんの[32]のコメントにもあるように「増産、増産」を重ねていたのでしょう。
当時の関係者の苦衷がしのばれます。
風間様、トネ様
平均品位が5gとしても、年間に3トンの金生産をする
ためには、年間60万トンの鉱石を採掘する必要があります。
年間1トン以上の金生産があった鉱山はすべて佐渡と同じ
鉱脈型の鉱床ですが、鉱脈鉱床は立て板のような形状
ですから、採掘には非常に手間がかかり、年間60万トン
(日産で2000トン)を採掘するには、よほど大規模
な鉱床で多数の切羽を維持しないといけません。仮に一つの
切羽で20トンの鉱石が採掘できたとしても、そういう切羽
を100箇所も準備しないと日産2000トンは達成できません。
また、60万トンもの量ですと、金品位5g/tはかなり
たかいハードルで実際は金品位は2g/gくらいのものしか
採掘出来なかったというのが実像に近いのではないかと思います。
鴻之舞50年史が今手元にないのですが、確かその中に
戦時中に国から鴻之舞鉱山に割り当てられたノルマが、
年間100万トン、5g/tで年間金生産額5トンという
数字だったように記憶しております。しかし実績は、
70万トン、3g/tで金2トンくらいだったと記憶しています。
pentahydroborite@yahoo.co.jp
相川鉱山は金の増産が国策となった当時、海岸の砂礫の掘り起こしの他に、周囲の零細鉱山の試掘に明け暮れていたようです。これは、相川の主要鉱口から出てくる鉱石の金含有率が下がって、このままでは立ち行かないことが懸念されたのではと思います。
各所の試掘は、新たな相川鉱山の替わりを見つける程ではなく、やはり零細鉱山のまま終わってしまったようです。國からの増産締め付けも厳しかったのでしょう・・・
いろいろ漁っているうちに以下のような文章に出合いました。出典は『鴻之舞五十年史』(住友金属鉱山株式会社鴻之舞鉱業所・昭和43年2月18日)です。
「昭和十二年、政府は従来の日銀買入法を廃止、新たに産金法を制定、同時に閣議決定をもって、産金五ヶ年計画をかかげ、金増産をはかった。これにより、産金業者は、探鉱奨励金ならびに、金製錬所設置奨励金、産金割増金の交付、輸入税の免除等、各種の保護政策に浴することになったが、生産から販売まで一切、政府の統制を受けることになった」(同書129ページ)
これによると、産金業者は政府に首根っこを押さえられてしまったような感があります。
数字面のでの誤魔化しは利かなかったようにも思えます……。
風間さん、こんにちは。
戦前の産金量についてですが、私も実を申せば「史実」はあまり知りません。ですから文書に表われた「記録」について少し述べてみたいと思います。
1937年7月の「日中戦争」勃発の後、軍事物資の「国際決算手段の増強」を目的として、「金増産政策」を「最緊急の国策として取り上げた」そうです。同年8月の特別議会で産金増産を目的とする「産金法」「金準備評価法」「金資金特別会計法」などが制定されました。これが翌年の半官半民の「日本産金振興株式会社」の設立へと発展します。
しかし、戦争の長期化などが予想されたため「輸入力増大と並んで、国内生産増強の緊急性が加わり、産金奨励と並んで、重要鉱物緊急増産政策が国策として取り上げられるに至った」ということです。(以上『帝国鉱業開発株式会社社史』より)
これからしますと、鉱産物――特に「金」は国家の強い統制の下に置かれていたのではないかと思われます。ここからは推測になりますが、「数字」のごまかしは不可能な状況だったのではないかと……。
ちなみに、詳しい資料は現在持ち合わせてはいませんが、当時の「大金山」の産金量を見てみました。そのころ東洋一と称された「鯛生金山」では、
1937年:約2300kg、38年:約2350kg、39年:約1850kg、40年:約1500kg、41年:約1200kg。42年:約900kg……と急速に衰えています。
国内第二位といわれていた「鴻之舞金山」は、
1939年:2409kg、40年:2536kg、41年:2316kg、42年:2049kg。……現状維持といったところでしょうか。
「串木野金山」は、
1937年:約1000kg、38年:約1100kg、39年:約1470kg、40年:約1500kg、41年:約1550kg、42年:約1370kg
以上の数字と比較しても、当時の「佐渡金山」は遜色のない産金量を誇っていたと思います。
もっと当時の詳しい資料が手許にあればよいのですが、あいにく持ち合わせてはいません。
しかし当時の佐渡の産金量は決して少なくはない、というふうに感じられます。
井上さんこんばんは
産金数字の信憑性についての常識は判りませんが、これらの数字は
三菱鉱山会社が國に申告していた数字ですから、ほんとはもっと採れて
かも??なんて、思っちゃったりするのは下州の勘ぐりでしょうか?
少し、産金の量は少ないですよね。
この辺り、近代金属鉱山の常識をどなたか教えてください。
風間 進様
どうも、ご返事ありがとうございます。
>昭和十二年の相川鉱山全体の鉱量は657万トン、
>そのうち100万トンを浜石が占めた。
>北沢浮遊選鉱場などの設備が完成をみた
>昭和十二年の産金量は842kg、
相川全体の鉱量(埋蔵鉱量)が657万トンならば納得いきます。
650万トン/年間も処理するのであれば、金品位
2g/トンとして、
6,500,000トン×2g/トン = 13,000,000g
= 13トン
であり、年間13トンも金を生産することになり、
かなり過大です。
それにしても、海岸の「鉱石」が100万トンも計上
されていたとは、驚きです。
ちょっと前出文献からの転載ぎみになりますが、数値的なもを書き出してみますね。
昭十三年、「重要鉱物増産法」が施行された。
昭和七年頃から一部浜石の採取はしていたが、冬の波浪が難関だった。
浜石の推定量は100万トンと見られた。
坑内鉱石の品位は昭和八年5.2g/T
昭和九年4.8g/T、昭和十年3.6g/Tと枯渇していった。
増産計画の目玉として浜石採取が計画された。
浜石の堆積は4〜6m、海水を排出しつつ機械採取した。
2万坪程度を採石した。
昭和十一年以後は坑内鉱量が2.6g/T程度に下がったのに比べ、浜石は4g/T、銀も80gであった。
昭和十二年の相川鉱山全体の鉱量は657万トン、そのうち100万トンを浜石が占めた。
北沢浮遊選鉱場などの設備が完成をみた昭和十二年の産金量は842kg、十三年1085kg、十四年1499kg、十五年1537kg
以後は若干減少するが、銀の年産は15〜24トンを記録している
昭和十八年の鉱山従業員は1300人、しかしこの年以後、国策は軍需金属にスタンスが移り、浜石の採取も中止された。
昭和十四年以降、朝鮮半島からの強制就労が行われ、相川鉱山には802人が連行された。
と云うところが、この間の数字の様です。
島の中の島、相川鉱山は島内の他所と隔離された状態で、最新鋭の気動車や発電所が動き、他国の強制連行の人々をも使役して金生産に励んでいた訳ですが、これが私企業の工場であるところも、國軍産一体と云うのか、今にして考えさせられます。
風間様
相川の浜で鉱石が回収されていたことは、何となく
知っていましたが、こんなに大規模に開発されていた
とは全くしりませんでした。
>坑内鉱石と海岸から採掘した鉱石は、山5:海1
>程度でしたが、含有量は海岸鉱石の方が格段に優れていました。
かつて、浜で採取された自然金を含む銀グロの玉砂利
を所有していますが、これからもその品位の良さが
うかがえます。それにしても海岸からの採掘量が
「山」の5分の1にもなるとは驚きです。
>これらの海山の鉱石総量650万トン/年間を処理する
>大工場が必要となった訳です。
650万トン/年間は少し多すぎのような気がするの
ですが・・・
続き
コメント29を書いた後、石川さんのコメントのHTTP先を見ましたら
浮遊選鉱って比重差ではなく、泡を使った親油性差による分離なのですね!下のコメントのその部分はお見逃しを・・
佐渡相川町は、鉱山創業四百年の記念行事の一貫として、鉱山に関する出版をいろいろやっています。私のH/Pのサブ・ページ、佐渡の研究書のところで紹介した相川町調査編纂「佐渡金銀山 」もそのひとつですが、近代相川鉱山の歴史についての本も出している(出そうとしている?)相川町役場内教育委員会に照会してみたら良いと思われます。
確か相川町文書館の三浦さんが、この辺りをまとめていたと思われます。
http://homepage2.nifty.com/butetu/
私は鉱山技術については門外漢でなにも知りませんが、この施設廃墟はコメントの様な水槽のみが残っているのが今も見られます。
今は無いのですが、浮遊選鉱場は山の斜面に作られた何段にも分かれた千枚田の様な形状であり、上部から水と共に粉砕した鉱石を流し、比重差によって、古に佐渡西三川砂金山で行われていた「ねこながし」の様に、鉱石含有量の向上を図るための施設と思われます。
手許にある佐渡相川町史通史の近代編を見返したりして、北沢浮遊選鉱場関係について歴史概略を述べてみます。
昭和十二年頃から日中政争を皮切りに十年戦争に突入、佐渡金鉱山も増産の国策に対応せざるを得なくなりました。
この増産対応が、戦後の資源枯渇>閉山への道筋を付けたことにもなっているようです。
この増産計画の中で着目されたのが、これまで顧みられなかった相川海岸の金銀を含む砂礫であり、もっとも昭和初期から一部これらの砂礫を原料とする金銀の抽出は行われていたようです。
しかし、相川鉱山の採掘による金銀産出量の減少から、この海岸砂礫が再度見直され、山中より鉱石を掘り出すコストより大幅に安い砂礫採掘に可能性が見いだされはじめました。
同じ時期にやはり増産のための設備として作られたのが、表題の浮遊選鉱場であり、当時は「本部浮遊選鉱場」「新工場」などと呼ばれていたようです。
ここでの操業が始まったのは昭和十三年末とのことです。
当時、坑内鉱石と海岸から採掘した鉱石は、山5:海1 程度でしたが、含有量は海岸鉱石の方が格段に優れていました。
これらの海山の鉱石総量650万トン/年間を処理する大工場が必要となった訳です。この工場の稼働のために昭和15年には大間に火力発電所が作られ、結果昭和15年の金生産量1500キログラム、銀20トン程度となつています。
但し、この間、国策による増産の労働力として朝鮮からの徴用、強制就労などが行われました。
昭和二十年頃になると、鉱山で就労していた坑夫達は、国内各地の航空機地下工場などの開削に借り出されていったりしたようです。
この事を始めとして、北沢浮遊選鉱場は戦争と国策を背景に佐渡金銀山に終止符を打つ増産のダーティーな記念碑として位置づけることが出来るようです。
浮遊選鉱場については、当時の三菱鉱山技師でこの浮遊選鉱場の開発を指導して高橋幸三郎氏が、「佐渡鉱山浮遊選鉱場について」という論文によって日本鉱業界の「渡辺賞」を受賞しているので、構造論はこの論文を参照するのが最適でしょう。
昭和十五年頃、それまでは山の坑口から大間の港に鉱石を運んでいた軌道車が逆に海岸の土砂を山頂の北沢浮遊選鉱場に運ぶようになり、相川の海岸は一大採石場と化したと、相川史は述べています。
私は、選鉱が専門でなく、佐渡のこともほとんど知りませんが、
浮遊選鉱一般については、広島大学のサイト
http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/Rres_Y_06.html#anchor54793
を見てください。home.hiroshima-u.ac.jp/er/Rres_Y_06.html#anchor54793
はじめて投稿させて頂きます。宜しくお願いいたします。
今回質問させて頂きたいのは、佐渡相川鉱山の北沢という所に、現在廃墟となって残っています浮遊選鉱場の事です。これは、昭和15年に戦時産金奨励策によって相川浜の棄石をふくむ浜石を採取する方針で建設され、当時東洋一といわれていました。
多いときにはつき5万トンの鉱石を処理していましたが、今は完全に廃墟です。現在でもその当時の威容を残しています。
そこでお聞きしたいのですが、ここで行われていた浮遊選鉱という作業を、教えてください。選鉱場の施設は、私が現地で見えた範囲では、巨大な円塔形のコンクリート製の水槽みたいな建築物が3基、崖の斜面にあり、その上にたてものの廃墟がありました。ほかにも色々廃墟がありそうでした。
私の想像では、ズリとして浜に捨てられていた浜石を採取、トラックで運搬し、選鉱場で粉砕、水槽内で水の中に入れて、砂金をとる原理で処理していたのかな、と考えています。
ちなみに、昭和初期には相川鉱山の坑内鉱は品位が低下し、このような施設の建設に至ったようです。
素人で恐縮ですが、宜しくお願いいたします。
チェアマン殿、並びにフォーラム参加者・読者各位
あけましておめでとうございます。
日頃はフォーラムハウスの維持管理にご協力下さりありがとうございます。
弊サイトと致しましては、フォーラムハウスは目玉商品の一つであり、本年も大いに盛り上げて行きたいと思っております。
2003年も、フォーラムハウス「鉱業技術フォーラム」をどうぞよろしくお願い申し上げます。
最後の投稿から7ヵ月も経っての投稿をお許し下さい。
北海道では、下川・千歳・手稲・鴻之舞・竜昇殿・余市・上国・国富・イトムカ・大江・伊達・幌別硫黄・本庫鉱山で中和処理をしています。
大滝村の三階滝公園には金鉱山の坑口があり、坑内の湧水が名水となり、休日には多くの人が湧水を汲みに来ています。
また、空知地方の産炭地にある温泉は、かつての炭鉱坑口から湧出する坑内水を導水して加温しているものが少なくありません。
水質汚濁防止法の排水基準を超過する坑水は中和処理をすることが必要でしょうが、水質が健康に影響しない範囲で、法律に許される水質であれば、温泉に利用することもできるでしょう。
そうすれば、中和に必要な石灰・電力・人件費が節約できるとともに、多くの人が鉱山の恩恵を受けられます。
坑廃水の成分・性状は、個々の鉱山や個々の場所で、様々です。
以下のサイトの下の方に、公衆浴場における水質等に関する基準
等が記されています。基本的には、こうした基準をクリアして
いればよい、ということになります。
ただし、人の利害に関わるので、こうした公開の掲示板では具体
的に書けませんが、坑廃水などよりむしろ天然の温泉で、基準に
ひっかかるものがあるはずです。
そんなわけで、基準(政令)のなかで、
「ただし、都道府県知事(指定都市市長を含む。以下同じ。)は、
営業者からの申請に基づき、温泉等を使用するものであるため
この基準により難く、かつ、衛生上危害を生ずるおそれがない
と認めるときは、この基準の一部の適用を除外することができ
ること。 」
というような、但し書きがあるのかもしれません。www.seiei.or.jp/idx07/legio014.htm
初心者丸出しの質問ですいません。
伊豆半島の土肥、大仁、蓮台寺(河津)、湯ヶ島などの金山からは温泉が
湧出していますが、健康に害があったりしないんでしょうか?
千歳やこうの舞(変換できませんでした)では、現在も有害な坑廃水が湧
いて処理場が稼動しているようなんですが……。
片山さま、ありがとうございます。
しばらく見ていなかったため、お礼が遅くなってしまい
すみません。
さっそく注文してみます。
今後ともよろしくお願いします。
そもそも、海底は数百mまでの大陸棚と深海底でほとんどの面積を占めてしまいます。マンガン団塊は、深海底にしかありません。コバルトリッチクラストは、1000〜2000mくらいで比較的浅いところにあるそうですが、掻き取らないと駄目だそうで、おそらくしばらく採掘されることはないでしょう。高速増殖炉のように、もうすぐ実用化されそうな技術でも、けっきょく駄目になってしまうものもあります。マンガン団塊も、地球環境に与える影響が大きいし、技術的な困難が大きいので、採掘されることはないのではと思っています。
燐の場合、浅い海底に降り積もるタイプの鉱床があり、現在採掘されている燐鉱床は、こうしたタイプの地層が陸化したものがメインになっています。こっちなら、案外採掘されるようになるかもしれません。
あと、メタンハイドレートですね。
なるほどね。
マンガン団塊が山のように密集している、浅い海底を想定すれば
そうかもしれません。様々な試算がありますし、関係者の利害に
かかわるので、採算については、これくらいにします。
しかし、どうしても海の底の泥をさらうことになり、泥の粒子は
長期間沈殿せず、海水汚染の問題は、大きな問題として残ること
になります。
その問題をクリアしなければならないでしょうね。
>流体ドレッジ方法やエアリフト方式、および連続バケット方式などが考案されていますが、いずれもまだ採算があうとは考えられていません。
そうですか? 僕がこれを書いた後にもう10年以上も前に出版された本で読んだんですけれども、数百メートルくらいの浅い海底から採掘するのであれば連続バケット法ならば十分に採算がとれるらしいですよ。10年前の技術でもそれであれば十分に採算が取れたのであれば、10年後の今の技術であれば深海底鉱物の生産も可能なのではないでしょうか。ただ、マンガンやコバルトやニッケルを陸上から多く生産できるカナダなどの国の反対意見は強いかもしれませんけれども。
マンガン団塊やコバルトクラストは、以前から研究されています。
採掘法も、流体ドレッジ方式、エアリフト方式および連続バケット方式
などが、考案されていますが、いずれもまだ、採算が合うと考えられては
いません。
このような海底資源が、経済的かつ大規模に開発されれば、マンガン、
ニッケル、銅、コバルトなどの建値が安くなり、陸上の鉱山の経営にも
影響するでしょうが、今はまだそういう段階ではありません。
国内外の鉱山の経営は、眼前のもっと別の諸般のことで大変で、
「海底資源が開発されればどうしようか。」と、先のことを考えている
状況ではないはずです。
私は、日本鉱業に関心のある学生です。鉱物学などの経験はまったくありません。
陸上鉱物資源から海洋鉱物資源の時代へといわれるように、近年になって深海底のマンガン団塊などのマンガンや鉄を大量に含んだ鉱石(海底にるいるいとそれらが散らばっている)を採取するという技術が近年急速に発達してきているそうなんです。それらを採取する技術はどこまですすんできているんでしょうか。また、海洋からそれらの鉱石を採取するようになったとすると、陸上鉱業にはどのようなえいきょうがあるんでしょうか。
貴殿のご質問の直接の回答ではないと思いますが、一般向けの文献をご紹介します。
山口梅太郎著
現代資源論ー鉱物資源とその開発ー
1986年3月20日発行
日本放送出版協会 販売
上記の図書は、NHK放送大学の教材ですが市販もされていたはずです。ご一読をお勧めします。
お返事、有り難うございました。
「鉱山保安テキスト」
は早速、買ってみようと思います。
ある文献に完全な状態で選鉱が保存されているのは、神岡と
釜石だけというのがあったものですから・・
豊羽鉱山でも行っているかもしれないのですね?
確かめてみます
本当に有り難うございました。
中田 聡一郎 様
ご質問のうち、設備・技術面に関する参考になる図書として、鉱業労働災害防
止協会発行の「鉱山保安テキスト」をお勧めします。
これは、鉱山の保安に関する技術者の教育用のテキストとして作成されたもの
で、坑内、電気、機械など種類別に詳しくまとめられています。
それから選鉱場ですが、北海道の豊羽鉱山でも選鉱を行っていたと思います。
鉱業労働災害防止協会のアドレスは以下のとおりです。
http://www.kosaibo.or.jp/
1、採鉱の近代化の中でタングステン・カーバイト・ビットの採用が出てきますが、現在は何を使っているのでしょうか?また、レッグハンマーとは、どのような物だったのでしょうか?
2、ミリセカンド雷管はなぜ、効率が良くなるのでしょうか?
3、神岡の歴史の中で長孔発破によるサブレベル採掘法が・・
とありますが、サブレベル採掘法とはどのような方法なのでしょうか?
4、切羽の運搬でスクレーパーという機械が出てくるのですが、これはどんな機械なのでしょうか?
5、保坑関係で、カッペとはどういった物なのでしょうか?
6、現在動いている選鉱は神岡鉱山鹿間選鉱所の他にどこがあるのでしょうか?
手元にある本では、この辺のところがどうしても解りません。どなたか解る方、大変お手数ではございますが、ぜひぜひぜひ、教えてください。
よろしくお願いします。
選鉱、精錬関係で解りやすい書籍があればそれも、教えていただけれがありがたいです。
高原 様
小生の回答では不充分のようでしたね。お許し下さい。すでにご承知かも知れませんが、小生もウェッブサーフィンの結果、以下のようなサイトを見つけました。英語ですが、貴殿と同じ分野に関心と疑問を持っている方が結構居ることがわかりました。どうぞ訪ねてみて下さい。
http://www.mailbase.ac.uk/lists/arch-metals/2000-04/0042.html
片山様 テリトリー外のことで恐縮でした。にもかかわらず色々とお答えいただき、あらためてお礼申しあげます。
鉱山専門の小生には、荷の重いご質問ですが、わかる範囲でお答えします。錫の原料鉱物として主要なものは、錫石(cassiterite, SnO2)と、黄錫鉱(stannite, Cu2FeSnS4)があります。化学式でお分かりのように、前者は酸化物、後者は硫化物です。まず、貴殿のご質問の黄錫鉱が青銅に使われたかどうかと、なぜ錫鉱なのかという2点について:小生は,考古学や、技術史を勉強しておりませんので、錫が青銅を作る時に使用されていることは承知していますが、錫の地金の原料鉱物として、いつから黄錫鉱が使用されるようになったかは、わかりません。ただ、硫化物であることを考慮すれば、製錬技術の歴史からすると、そんなに古い(1000年以上前)ということはないように思います。むしろ詳しい方に教えて頂きたい。黄錫鉱がなぜ錫鉱かは、化学成分からご理解頂けると思います。
錫の製錬:錫は、ご存知と思いますが、半田や、ブリキを主とする各種合金の原料として使用されており、日本は、米国、中国に次ぐ世界第3位の消費国です。黄錫鉱は、黄銅鉱、黄鉄鉱などと共に産出されることが多く、黄錫鉱のみの鉱山は、国内では存在しません。国内の錫の自給率は1〜2%で、ほとんど地金の輸入に頼っています。
国内では、三菱マテリアル生野製作所が錫の地金生産を行なっていますが、原料は、錫滓(スクラップ錫)です。
黄錫鉱を主成分とする原料鉱石からの製錬は、通常硫黄分を除去するため、焙焼後、溶錬、電解といったプロセスを経て、電気錫(3N〜4N)
として精製され、市場に出されます。酸化物の場合ですとコークス等により炉内で還元すれば良いのですが硫化物の場合は、硫黄ばかりでなく、砒素やタングステン等を副産物とする場合もあります。また、電解スラッジに含まれる、銅、鉛等は、銅や鉛の製錬所に販売されて残留有価物の回収が図られるのが通常です。
初めまして。私は冶金に興味を持っております素人です。
ある本に青銅に使用された錫鉱として錫石が上げられているが、錫鉱としては黄錫鉱もあると書かれていました。
黄錫鉱が実際に使われたかどうかはともかくとして、黄錫鉱はなぜ錫鉱なのか。いいかえれば黄錫鉱を製錬すると必然的に錫しか得られないのか。という疑問がわいてきました。
この黄錫鉱の製錬およびその化学についてお教えいただけないでしょうか。
黄錫鉱は産出量が非常に少ないと聞いておりますが、「楽しい鉱物図鑑2」によりますと資源的な意義のあるほうと書かれており、また海外の鉱床についても不明なので、意義の有無については不問とさせてください。
横からなんですが、参考になりました。
余談ですが、串木野市に行った時、この町はア−モンドの香りがするんだろうか?と
思ったら全く何の匂いもしませんでしたね。
乾式精錬の絡みですが以前、珪酸鉱を黒鉛電極で直接溶解して金属シリコンを生産
しているのをテレビで見たことがありますが、含金属でも,そのような事はして
いるのでしょうか?
日本でも青化法は健在なんですね。
串木野鉱山の金鉱石は菱刈並の高品位15g/t(一部、30g/tなんて噂もあるようですが・・・)以上なんでしょうか?
それから串木野鉱山での金のリカバリーは亜鉛セメンテーションですか?とれともCIPプロセスでしょうか?
ところで、日本国内で 低品位金鉱石を用いた ヒープ・リーチング(NaCN使用)を行っている金鉱山は存在しているのでしょうか? これは屋外で鉱石処理するのでシアンをかなり慎重に取り扱わないといけませんよね。
MMIJ誌チェックしておきます。現在海外在住のため取り寄せがきついですが、母校の秋田大鉱物処理研究室に問い合わせてみます。
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乾式製錬
住友菱刈鉱山では、菱刈金鉱石を愛媛県新井浜製錬所の自溶炉に海外から輸入された銅・ニッケル・鉛・亜鉛系硫化鉱物とともに製錬している(用は銅製錬プラントに菱刈鉱石を混入させている)と聞いております。これは、正確な情報ではありません。
過去に銅・ニッケル鉱石をアンモニア浸出しているとも聞いておりますので・・・
有馬さんへの回答:
シアンの使用についてのご意見が、事実と反することをお知らせしておきます。
シアンの使用は、正式な手続きを踏めば、国内でも使用可能であり、現在でも金の採取に使用されており、その代表例が、鹿児島県の三井串木野鉱山です。ただし、シアンといっても、一般的にすぐイメージされるKCNではなく、NaCNが使用されており、無害化処理設備により、ほぼ、リサイクル使用をしております。
詳細は、たとえば、資源・素材学会誌、1993/12 Vol.109等をご参照下さい。全泥青化法は、今も健在です。
横からなんですが、金の乾式精錬の方式というのに関心
があります.じつは初めて聞きました。銅の酸素吹込
自溶炉のような物なんでしょうか? 真空炉で何か
ポンプを組み合わせたような物なんでしょうか?
はじめまして
有馬晴信と申します。
現在、日本の金鉱石処理は一般的に 乾式製錬 を行い、シアンを使用しておりません。
金鉱石処理において、シアンの使用は法的に日本では禁止されているのでしょうか?
私の疑問に答えていただければ幸いです。www.cgocable.net/~haru
片山 賢様
珪酸鉱について疑問についてお答えいただきありがとう
ございます。ご教示いただきました、文献を読んでみたい
と思います。恐らくさらに疑問が出てくると思いますので
また投稿させていただきます。
1.珪酸鉱の価格:公表されたものはありません。但し、珪石については、吉田国夫氏の”鉱産物の知識と取引ー工業用鉱物編ー”に掲載されています。
2.運賃等は、通常の商取引と同様、山元渡し、本船渡し等、契約により内容が異なります。
3.金の含有量については、JIS M 8111で分析方法が定められています。
4.銅鉱石の成分により変動しますし、製錬方法によっても異なります。
5.製錬方法により、有害物質の内容が変わりますので、珪酸鉱としてふさわしいかどうかも、一義的に決められるもではありません。
皆様始めまして金山好夫と申します。
鉱業技術フォーラムという場をお借りして皆様に日頃の疑問を
お尋ねします。
銅精錬の溶剤として金鉱石が使用されています。金鉱石の珪酸分
が溶剤となると同時に金鉱石中の金が銅の中に選択的に取り込ま
れることにより金を精錬することができます。金山、銅製錬所ともに
メリットがあるので、昔から自前の精錬所をもたない金山が珪酸鉱を
銅製錬所に供給しています。現在も鹿児島県の春日、岩戸、赤石、
菱刈鉱山が各地の精錬所に珪酸鉱を供給しています。
1.珪酸鉱自体の価格はいくらでしょうか?金鉱山は、銅製錬所
で金銀を委託精錬してもらうだけで、銅精錬所は珪酸鉱自体の
代金は支払わないのでしょうか?
2.もし、珪酸鉱自体がただならば運送料とかはどちらが負担す
るのでしょうか?
3.金銀を委託精錬してもらう場合には、金銀の含有量はどのように
してきめるのでしょうか?鉱石品位と量が分かれば計算できます
が、鉱石の量は簡単に計測できますが品位はどうするのでしょうか
4.銅鉱石1トンに対して珪酸鉱はどれぐらい必要なのでしょうか?
5.珪酸分が多ければ多いほどいいでしょうが、他の元素で銅精錬に
有害な元素というのはあるのでしょうか?珪酸鉱としてふさわしく
ない金鉱石というのもあると思うのですが。